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福岡地方裁判所 昭和36年(ワ)378号 判決

原告 横山茂樹

被告 国

訴訟代理人 広木重喜 外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金二〇万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日(昭和三六年六月五日)より完済まで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、被告指定代理人は「本件訴を却下する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求めた。

原告訴訟代理人の陳述した請求原因及び被告の抗弁に対する主張、被告指定代理人の陳述した本案前の抗弁は、別紙「請求の原因」「被告の本案前の抗弁」「被告の抗弁に対する原告の主張」に記載のとおりである。なお原告訴訟代理人は本件過料の裁判に対し原告は福岡高等裁判所に抗告したが、抗告棄却の決定がなされ、これに対し更に最高裁判所に特別抗告したが、該抗告も棄却され、第一審の決定が確定したことは認めると述べた。

理由

原告主張の刑事被告事件の審理に関連して、熊本地方裁判所刑事第一部裁判長裁判官安東勝、裁判官松本敏男、裁判官鍋山健が昭和三六年四月一五日右事件の弁護人であつた原告に対し、法廷等の秩序維持に関する法律に基き、過料三万円に処する旨の制裁決定をしたこと、該決定に対し原告から福岡高等裁判所に抗告をしたが、抗告棄却の決定がなされ、原告は更に最高裁判所に特別抗告をしたが、該抗告も棄却され、前記一審の決定が確定したことは当事者間に争がない。

このような場合、第一審裁判官のした制裁決定が違法であり、且つその故意過失によるものとして、国家賠償法による損害賠償請求が許されるか否かが、本件の本案前の争点である。

国家賠償法第一条は国家賠償の要件として、公務員が公権力の行使につき故意又は過失により違法に他人に損害を加えた場合であることを規定するのみで、特に裁判官による裁判、すなわち判決、決定、命令等の形でなされる裁判による権力行使を除外する旨を定めていないので、一見すれば、裁判といえどもすべて前記の要件を備えるときは、国家賠償の対象となり得るように見られないではない。

しかし、裁判官による裁判のすべてが果してそうであるであろうか。その点を究明するための参考資料として、諸外国における制度を概観してみよう。先ず英国及び米国においては、裁判官がその管轄権限内においてなした行為(裁判はもとより、職務執行上のすべての言動を含む)については、その裁判官竝びに国又は州は損害賠償の責を負わない。その理由とするところは、裁判官が独立して自由に、且つその行為の結果に対し危惧することなく、重要な職務を遂行するためには、このような法の保護が必要であり、そのことは結局一般国民の利益となるからである、とされている。次に西ドイツ国においては、同国民法第八三九条第二項は「官吏が争訟事件を判決(Urteil)するにあたり、その職務に違背したときは、その義務違反が刑事訴訟手続に従い公の刑罰を受くべきものである場合に限り、これにより生じた損害につき責を負う」と規定し、同条第三項は「被害者が故意又は過失により、法律的手段の行使によつて損害を防止することを怠つたときは、賠償義務を生じない」と規定して、裁判官の損害賠償責任を刑事罰を受くべき職務違背がある場合に限定し右有責の場合にのみ国又州(ラント)が当然賠償責任を負うものと定められており、その立法理由は、裁判所の独立を保持し、また判決の既判力を保護することによる法的安全の保持等にあるものと解されている。なお前記「判決」とは、民事及び刑事事件において必要的口頭弁論を経て訴訟手続を終結せしめる、いわゆる判決に限られるか、その他の裁判を含むかについては争があるようであるが、狭義の判決に限らず、仮差押、仮処分の決定、破産宣告、禁治産宣告の決定等当事者の権利義務を確定又は創設するすべての裁判を含むものとする有力な見解が存する。またフランス国においては、裁判官がその職務執行につき不正の収得、詐欺、強迫等をした場合、又は裁判をなすことを拒んだ場合等法律が特に定める場合にのみ、その裁判官が賠償責任を負い、国は責任を負わないものとされているようである。

そこで右二、三の国の法制を参照のうえ、本件問題点につき判断するに、裁判所若しくは裁判官による裁判が国家賠償法第一条に規定する「公務員の公権力の行使」に該当するか否かは、右規定の文理解釈のみをもつてしては明らかでなく、裁判の本質に由来する目的論的解釈によりはじめて導き出されるものと考えられる。

裁判とは最も広義には司法機関である裁判所が事件を解決するために行う法律判断及び処分(証拠調等)を指称するものと解せられ、さきに述べた如く英、米においてはこの意義における裁判について国はもとより当該裁判官も一切不法行為責任を負わないとされているのであるが、右法理が直ちに我が国においても妥当するか否かについては疑なきを得ない。裁判所若しくは裁判官の処分は事実行為であつて、本件の争点より離れるので、これに対する判断はさておくとして、右に述べた広義における裁判の内、裁判所若しくは裁判官の法律判断についてのみ考えるとしても、これを漫然一個の概念に統一し、結論を求めることは早急のそしりを免がれない。西ドイツ国において、職務違背の判決(Urteil)をなした裁判官は特定の要件のもとにおいては損害賠償責任を負うことはさきに明らかにしたとおりであり、ここにいう判決とは本来の司法裁判権の権能である裁判のみを指すのか、更に広い意味を含むのかについては争いのあるところであるが、このような争いは、具体的事件の解決を目的とする裁判所の法律判断を裁判と呼称するとしても、右法律判断には純粋に司法裁判権の作用に属するものと、むしろ本来行政的性格を具有するが、便宜上、もしくは妥当性の見地からこれを司法裁判所の所管としているものとがあることから生じているのである。もつとも狭義には、裁判とは、本来の司法裁判権の作用、即ち裁判所が司法裁判権の行使として法の効力を確保するため、具体的な法律上の争訟を解決する目的でなす法律判断のみを意味し、少くともこの意味における裁判が前記西ドイツ民法第八三九条第二項の「判決(Urteil)」に該当することは、多言するまでもなく明らかであろう。しかして、かかる意味における裁判につき、所定の上訴手続により救済を求めること以外に、担当裁判官の行為が不法行為に該当するとして国家賠償法に基き損害賠償を請求することは、裁判の独立、確定裁判の法的安定性を侵すことになり、かかる裁判自体の存在理由に背反することになるので、到底認容するを得ない。問題は行政的性格を有する裁判所の判断作用についてであるが、これらは司法裁判権の本来の権能ではないので、このような意味での裁判についても不法行為責任の埒外におくことは、さきにのべた諸外国の立法の趣旨に照しても、直ちに容認しえないものと考えられる。我が国において、強制執行手続における違法な裁判、或いは違法な勾留裁判の場合等における裁判官の不法行為責任を認めた幾多の判例も同一の根拠に出でたものと解されるのである。

ところで、法廷等の秩序維持に関する法律によつて裁判所又は裁判官に与えられた権限は、直接憲法の精神に基礎を有し、司法の使命とその正常適正な運営の必要に由来するものであり、司法の自己保存、正当防衛のために内在する権限であつて(最高裁判所大法廷昭和三三年一〇月一五日決定、同第一小法廷昭和三五年九月二一日決定)、司法裁判権に固有の権能であると解されるのであり、右法律違反に対する制裁の目的は、右制裁を通じて裁判所に対する服従を確保し、もつて司法権の適正有効な実現を図るものであつて(カツシャーメン対ミネソタ州事件、合衆国最高裁判所判例集五〇巻八五頁参照)刑罰権の存否を判断する刑事裁判権とはその性格を若干異にするとはいえ、共に司法に固有の権限であつて、前述のいわゆる行政的性格を有する裁判とは全くその本質を異にするものであるというべきである。

以上判示したとおり、法廷等の秩序維持に関する法律違反に対する制裁決定については所定の上訴手続により救済を求め得る点はさておき、少くとも本件の場合の如く、制裁決定が確定した後においては、当該裁判官の裁判をもつて国家賠償法第一条に規定する不法行為責任を追求することは許されないと解すべきであるから、原告の本訴請求はその前提において既に失当として棄却を免れない。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岩永金次郎 武田正彦 岩井康倶)

別紙

請求の原因〈省略〉

被告の本案前の抗弁

本件訴訟における審判の対象が、熊本地方裁判所第一刑事部(裁判長裁判官安東勝、裁判官松本敏男、同鍋山健)のなした「法廷等の秩序維持に関する法律」に基づく原告に対する過料三万円の決定が違法であるか否かの点にあることは、原告の主張自体によつて明らかである。

しかし、右過料の決定に対しては、原告の代理人弁護士諫山博外一三名から福岡高等裁判所に対し抗告がなされ、同裁判所第一刑事部は昭和三六年五月三一日右抗告を棄却する旨の決定をなしたところ、さらに最高裁判所に対し特別抗告の申立がなされたが、右特別抗告も棄却する旨の決定がなされているのであつて、これにより右過料の決定が違法でないことについては終局的に確定しているものである。

国家賠償法第一条第一項は「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体がこれに賠償する責に任ずる」と一般的に規定していて、特に裁判官の行う裁判を除外してはいないから、一見裁判官の行う裁判は、すべて国家賠償の対象となり、民事訴訟により常にその違法性の有無を判断することができるかのようにみえるけれども、しかしそこには裁判制度の本質より一定の限界が存することが認められなければならない。上訴制度の認められている一定の訴訟手続において、ある審級に係属している事件につき、その事件を完結する終局的な裁判(終局判決ないしそれに準ずる決定)がなされた場合に、右終局的な裁判を違法として争うためには、その手続において認められている不服申立の方法としての上訴の手続のみによるべきものであつて、上訴することなく右終局的裁判が確定した場合及び上訴手続によつても、ついにその不服申立が認められず、法律上更に上訴する余地がなくなつた場合には、原裁判の違法ならざることが終局的に確定し、再審ないし非常上告により原裁判が変更されないかぎり、当該訴訟の当事者はもはや他の訴訟手続においても原裁判の違法を主張することは許されない。

もし、原裁判が(その上訴手続を経、または経ずして)違法ならざることが確定したにもかゝわらず、他の訴訟手続で、再びその違法の有無が争われうるとするなら、裁判の確定ということは全く無意味に帰し、国家の裁判権の行使としての公権的法律判断は、つねに争訟の対象とされ、紛争の終局的解決案として裁判のもつ強制通用力はやぶられ、法的安定を実現することは不能となる。(なお、民事訴訟において、刑事判決の理由において認定された事実と異つた事実認定をすることを妨げないということは古くから確定された判例であるけれども、それは、事実の認定に関してのみいえることであつて、民事訴訟において、確定した刑事判決そのものの違法を主張することを許しているものではない。)

換言すれば、違法とは、原裁判が法の見地から許されないということ(法に対する関係において原裁判が無価値であるとの法的判断)を意味するわけであるが、かゝる裁判自身に関する違法性の判断は、裁判制度の建前として、その上訴手続の過程を通じてかつ、これのみによつて争訟の対象とされているものである。したがつて当該訴訟の当事者が、その訴訟手続において原裁判に対してもはや不服の申立をなさず、またこれを申立てるも、その上訴手続において違法ならざることが確定したならば、何人といえども、この裁判の確定(法的価値判断)を尊重せざるをえないものであつて、それを又再び他の裁判所ないし訴訟手続において、くりかえし審判の対象とすることが許されるなら、一度確立されてもはや動かしえない裁判所の終局的価値判断が、動揺をきたすこととなるばかりでなく、その結果は司法制度の根基をみだすこととなるであろう。

ところで、本件過料の決定は、「法廷等の秩序維持に関する法律」に基づくものであつて、それは従来の刑罰的、行政的処罰のいずれの範躊にも属しない特殊の決定であり、その手続は右法律固有の特殊なものである(最高大法廷決定昭和三一年一月一五日民集一二巻一四号二八七頁)。そしてこの決定については、同法において抗告および異議の申立(第五条)ならびに特別抗告(第六条)による上訴の途が開かれている。

しかるに本件においては、前述したように、右手続における終局的裁判たる過料の決定に対し、抗告および特別抗告がなされ、そのいずれも棄却されてすでに確定しているわけである。したがつて本過料の裁判が違法であるかどうかは、この手続過程を通じて最終的な価値判断が下され、その違法ならざることは、もはや不可争性をもつて、確定しているものである。されば原告が本訴において、「違法な右裁判により、その名誉権を侵害された」と主張されることは、到底許されないものといわなければならない。

よつて、右決定が違法であることを請求原因とする原告の本訴請求は、その主張自体理由がないから、速かに却下さるべきものといわねばならない。

被告の抗弁に対する原告の主張

国家賠償法の適用においては、裁判官の行う裁判といえども、例外ではあり得ない。公権力の行使に当る裁判官の故意又は過失によつて個人の権利が不当に侵害されれば、個人は国にたいして、その損害の賠償を請求することができる。ただ、裁判が確定しておれば、訴訟法上いわゆる既判力の拘束をうけるにすぎないのである。

一例をあげて説明すると、裁判官の違法な勾留もしくは保釈却下決定によつて個人が損害をうければ、個人は抗告その他刑事訴訟法上の手続によつてその当否を争うことができる。だがそれと同時に、国家賠償法所定の要件が満されれば、個人は国にたいして、国家賠償法にもとづく損害賠償の請求をすることもできる。このことは、違法な勾留もしくは保釈却下決定にたいして訴訟法上不服申立手続が規定されているかどうか、また不服申立手続が履践されたかどうかとは、かかわりないことである。この関係は、被告人の有罪無罪をきめる終局判決においても、まつたく同様である。終局判決が確定すれば、再審手続によらないかぎり、刑事責任の有無もしくは刑罰の軽重を再び司法裁判所で争う方法はない。また、無罪判決が確定すれば、一事不再理の原則によつて、同一事案につき司法裁判所で再び刑事責任を追求されることはあり得ない。

しかしながら、右は刑事責任の有無、刑罰の軽重についてのみいえることであつて、民事責任の有無とは無関係である。裁判官の裁判(判決・決定・命令)が違法で、国家賠償法所定の要件を満たしていれば、刑事責任の問題とは別に、当然国家賠償法による損害賠償の問題がおこりうるのである。

ところで、本件で問題になつている裁判は、終局判決とは性質を異にする「法廷等の秩序維持に関する法律」にもとづく過料の決定である。しかも右決定にたいしては不服申立手続がとられ、最終的には最高裁判所から棄却決定がだされているが、不服申立にたいする決定のなかでは、安東裁判官等の制裁決定が実体的に違法もしくは不当であつたか否かについて、なにらの判断も示されていない。被告は昭和37・3・13答弁書のなかで「本過料の裁判が違法であるかどうかは、この手続過程を通じて最終的な価値判断が下され、その違法ならざることは、もはや不可争性をもつて、確定しているものである」と主張しているが、これは要するに、熊本地方裁判所の原決定取消しを求めて争う途が閉ざされているというにすぎず、右原決定が国家賠償法にもとづく賠償請求の対象になり得るかどうかとは、関係のないことである。

よつて、本件訴の却下を求める被告の本案前の抗弁は理由がない。

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